東京大学大学院総合文化研究科

言語情報科学専攻

Language and Information Sciences, University of Tokyo

東京大学大学院総合文化研究科

言語情報科学専攻

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学生の声

阿部かすみ(2016年言語態・テクスト文化論コース卒業)

 言語態とはなにか、という問いへの答えがひとそれぞれであるように、言語態テクスト文化論コースで大学生活をどう過ごすか、というのもまたひとそれぞれであるように思います。私がこのコースに進学を決めたのは、前期課程の間に受けた授業で印象的であったほとんどがこのコースの先生方のものであったことがきっかけでした。文学に対する知見も浅くただもっと文学を勉強してみたいという思いだけでこのコースを選んだ私は、ほとんど手探りの状態で文学研究の道を歩み始めました。多岐にわたる専門分野の先生方の授業や、興味分野がさまざまな先輩方や同期からの刺激を受けながら、新たな疑問とさらなる興味が絶えないような毎日を送ってきました。また、1年間の交換留学にあたっては、留学準備はもちろん留学後の卒論などに対しても的確なご指導をいただき4年間で卒業することができました。自分の視野を広げられる 、自分が深めたいことを見つけられる、それにあったご指導も受けられるこのコースは、ことばについて広く考えたい方であれば選んで後悔することはないと思います。

田中雄大(2016年言語態・テクスト文化論コース卒業)

 「言語態」とは何か。本コースへの進学を検討する際に、まず頭に思い浮かぶのはこのような疑問でしょう。そしてこの疑問は、実はまさしく本コースの入口でもあり、また出口でもあるのです。この概念を積極的に定義しようとするならば、それはひとまず「言語の様」に着目した文学研究ということになる筈ですが、おそらく多くの方はこの定義を聞いても腑に落ちないことかと思います。そこでもう一つ提案したい定義が、即ち消極的な「言語態」の定義であり、それはつまり「文学部的研究でない、、、、比較文学的研究でない、、、、地域研究でない、、、…」文学研究ということになります。最初は「言語態」とは何なのか、分からなくて当然だと思います。ただし間違いなく言い得ることは、本コースにはそうしたネガティブな文学研究を受け入れるだけの度量があるということであり、これこそが本コース進学を検討する際の大きな魅力になるのではないかということです。そして実は未だに消化しきれていない、この「言語態」に関する現時点での私なりの1つの暫定的な結論は、即ち「言語態」とは「言語の様」を指すとともに、「言語への度」をも指し得る概念だということです。

山根万里(2015年言語態・テクスト文化論コース卒業)

 文献の存在とありかを知り、入手し、整理する。必要なら翻訳し、批判的距離を保ちながら読解する。(考えるだけでなく!)文章を構成し、議論を交わす。その繰り返しのなかで、新たなテクストを作品として結実させてゆく。どんな知的生産もこうしたメディア実践・解釈実践・言説実践によって成り立っている以上、言語態・テクスト文化論コースで学ぶ者は、学習対象やみずからの研究が内に含む自己言及性をいつでも意識することになります。かなり早い段階で自覚されるのは、無条件に安住しうる分析の立場を与えてくれるような理論、いわば「銀の弾丸」を期待してもダメだ、ということです。先生方や学生の研究・関心領域がきわめて多様であるなかで、それでもコースとしての紐帯を確保しているのは、みずからが選びとった研究にたいして各分野のdisciplineが求める厳しい条件を満たしながらも、いかなる実践によって対象と対峙するか、という終わりのない問題にどこまでもこだわり続ける姿勢なのではないでしょうか。

小菅望基人(2015年言語態・テクスト文化論コース卒業)

 私は一期生としてこの言語態・テクスト文化論コースの門をたたきましたが、逡巡を重ねた上でのその決断は間違っていなかったと胸を張って断言できます。主に各国の文学を中心とする幅広い専門分野をもつ教員がこのコースに所属しているため、授業は好奇心を大いに満たしてくれるものであり、この環境は移り気な私を受け入れてくれるものでした。文学・言語学の多岐にわたる研究を行う諸先輩との交流は実りあるものでしたし、院生と学部生の垣根なくコモンルームを利用しているのもこのコースの魅力であると言えるでしょう。あなたは文学と聞いて何を連想するでしょうか。この文章を読む方の中には、特定の好きな作家がいるという方、まだ何を専門として勉強したらよいかわからず迷っている方、文学と聞くと何か堅苦しくて縁遠いと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、何かを読んで考えることが好きな方、広く「書かれたもの」を読むという営みに関心のある方は、是非ともこのコースで自分の興味関心を深めていってほしいと思っています。こうした環境を使い倒してやろうという意欲のある学生の方、お待ちしております。

薦田洸平(2015年言語態・テクスト文化論コース卒業)

 後期課程への進学を前にしている皆さんは、学科やコースの名前を身にまとうことになるのですから、自分の背恰好に合う、奇異に見えないような、快適な服を選びたいと思うことでしょう。そういう基準からすると、「言語態・テクスト文化論」という服は不恰好で、手触りも無気味で、着られるかどうかさえ分からないものに見えるかもしれません。しかし、「言語態・テクスト文化論」という一分野が、据え膳として用意されているわけではありません。先生方の研究対象は多岐にわたり、論文の書き方に至るまで綿密にご指導して下さいますが、その先生方も、「言語態・テクスト文化論」を修めてこられたわけではありません。準備されているのは、あくまで編み図でしかないと言えるでしょう。そして、先生方や同輩たちの手を借りながら「言語態・テクスト文化論」というテクストを自らの手で編み上げていくことは、自身を読み解く行為と分ちがたく結びついています。テクストと向き合い、一回的な営みとしての読解を繰り返す中で、自分自身についての認識も更新され続けていく、こういった体験はとても魅力的なものとなるはずです。

西岡宇行(2015年言語態・テクスト文化論コース卒業)

 強く惹きつけられる文学について語ろうとすればするほど、自分がそれについて十全に語る言葉を有していないことが明らかになってしまう。そのような経験は誰にでもあるのではないでしょうか。とりわけ自分にとって魅力的なものとして立ち現れてくる作品を読了すると、私は自己の一部が文学に半ば同一化したまま宙づりになってしまうような感覚を抱きます。そのような、持って行かれてしまった自己を奪還する方法としての語ることはいかに可能なのか。それ以前に、そもそも特定のテクストについて語ることはいかに可能だろう。先人に学びたい。こういった思いで、私は言語態・テクスト文化論コースに進学しました。
 このコースで批評理論を学んでいくことで、私は多くの批評家がテクストについて語ることの不可能性にぶち当たりながら、それに果敢に挑んでいった足跡をたどることができました。それを通じて感じられたのはテクストを前に言い尽くせなさを感じて立ち往生する私が、決して一人でそうあるのでなしに、同学の志やコースの先生方、そして、新旧の批評家らとともに立ち往生しているということです。当初の問いがすっきり解決したわけではないのですが、以上のようなことを実感することで、あえて今自分が特定のテクストにつき語ろうとする試みを行うことの意義について積極的に捉え返すことが出来るようになったように思います。

鈴木理子(2015年言語情報科学分科卒業)

 私はもともと文学に対する漠然とした興味からこの分科を選び、自分の動機は不十分なのではないか、果たしてやっていけるのだろうかと、はじめは不安でした。でも今はここに来て本当によかったと思っています。授業は基本的に少人数で、先生方の熱心な指導が受けられるのはもちろんのこと、学生同士で議論する機会もたくさんあり、刺激的な環境で退屈することがありません。私は今学期受けたどの授業でも、新しい知識が身に付いただけではなく、自分がこれまで当然視していた日常の多くの事柄について別の角度から考え直してみるきっかけを得ることができました。また、この分科はアットホームな雰囲気で、8号館の3階にあるコモンルームでは、院生・学部生が学年を問わず団欒しています。先輩はみんな親切で、勉強のことに限らず、学生生活全般について色々と教えてくれます。このような場所が身近にあるのは、とてもありがたいことです。興味のある方は、ぜひ立ち寄ってみてください。

平井裕香(2011年言語情報科学分科卒業)

 私は、前期課程の翻訳論の授業をきっかけに、文脈に開かれ、多角的な読みを促すとともに、それらによって繰り返し変容し得る「テクスト」の力に魅了され、言語情報科学分科への進学を決めました。多様な専門分野をお持ちの先生方に支えられた言語情報科学分科は、ことばにまつわるあらゆる知見への欲求を満たしてくれます。私にとっては、特に語学、批評理論、及び具体的なテクスト分析の授業が大きな意味を持ちました。卒業論文を書き終えた今思うのは、知らず知らずのうちに、外国語の知識と翻訳という営為へのまなざしがインスピレーションを生み、複数の批評理論のエッセンスが重なり合って私の読みを支え、他のテクストの分析を発表し議論しあった経験がその表現を助けていたということです。言語情報科学分科を前身とする言語態・テクスト文化論コースもまた、「わたし」と「テクスト」との出会いを、この上なくスリリングな対話に高めてくれる場となることだろうと思います。